山寺立石寺はどんな目的があって開山されたのでしょうか。
その理由の一つを、円さんと磐さんに伺ってみましょう。
円さん
当時、円仁は大阪の「四天王寺」で法華経の講義を行っていました。
そこに、出羽で疫病が流行しているので、仏教のチカラで救済してきなさいと、朝廷からの命令で出羽へと向かうこととなったのです。
磐さん
京都大原三千院の慈覚大師伝に「天長六年(829)に、 朝廷の命によって講師をやめて北狄に向かう」と記してあるそうじゃ。
円さん
さらに、出羽へ向かう途中の、天長七年1月3日に出羽国大地震が発生。
この大地震の規模を伝えるものとして、雄物川の河床に亀裂が走って川の水がなくなったと記録が残っているんだ。
このことから、出羽国は大被害であった事が想像できます。
疫病と災害。
この二つの苦しみから民衆を救うために、
朝廷。則ち、天皇の命令で山寺を訪れているんです。
天皇の命令を受けた円仁が、東北の民衆を救うために
東北の中心である「山寺」に立石寺を開山されていることがわかります。
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