お通り沢の名は、 天台宗の高僧「円仁(慈覚大師)」が通られたことから由来されたと伝わります。
山寺の地蔵畑には板碑がたくさん残っていて、信仰の地として重要な場所であったことがわかります。
高瀬休石のお通り沢入口には、道標の役割も果たす念仏供養塔があって、信仰の道でもあったことがわかります。
お通り沢に残る伝承。円仁(慈覚大師)伝説
〇エゴマ栽培の戒め
円仁が、高瀬三宝岡の「風立寺」を開いた後にお通り沢を登り、座頭峠を越えて山寺に出られた途中で、エゴマ(荏胡麻)の刈り株で足を痛めてしまいます。
そのことから、エゴマを植えない家があったといいます。
※座頭と呼ばれる地名は全国でみられます。
〇地蔵畑
円仁が初めて山寺の地を踏んで遥かに天華岩を望み、いよいよ山寺に着いたことを喜んで、そこで直ちに感謝の読経をなされた。その地を今も地蔵畑と呼び板碑が残っている。
また、この畑には不浄の肥料を施さないことになっていたといいます。